健康#10 前立腺癌 ダビンチ手術 体験記  part-2

健康管理
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手術翌日。
様々な看護を受け、その後の歩行訓練までめまぐるしい1日でした。

3日目 手術翌日

頭側に窓があり、少し明るくなってきた。

夜が終わり朝が来た。

看護師が入れ替わり立ち代わりやって来て、様々な処置を行っていく。

朝食が運ばれ、手術後最初の食事をした。

米粒の形が見えない糊のようなお粥がでた。

腹部にチューブが差し込まれている。これは体内の液を出すためなのだが、その液がどの位でているかと先生が看護師に聞いている。

看護師がゼロですと答えると、「え!ゼロ?・・・あ、本当だ」と言い、さらに「じゃあ抜いちゃおう」と言って引き抜いた。

これは事前に看護師さんに説明を受けていた。

「抜く時痛くないのですか」と質問したら、「痛くありません。チュルっと抜けます。」と説明してくれた。

実際チュルっといった感じで抜けた。痛くなかった。

チューブが抜けた穴は絆創膏を貼って終わりだった。

これでいいのか?人間の体は割と雑にあつかっても大丈夫なのだなと感じた。

右腕の手首近くに針が3本刺さっている。

何かの点滴用なのだろうが、看護師さんが順番に抜いてくれた。

1つは、動脈に刺さっていたとのことで、抜いた後、「5分間押さえます」といってかなり強い力で押し始めた。

「この強さで5分間押すのですか。疲れませんか。」と聞くと、

動脈に刺した跡は、止血をしっかりしないと血栓ができて、それが血管内を流れると大変で、それはそれで手術をして取り出さなくてはならなくなります。と説明してくれた。

5分たち指を離し、押した箇所をじっと見つめた後、「あと5分押します」と言って、再度、押し始めた。

なんとなく私も体に力が入ったような気がした。

その間すこし雑談をしたのだが、言葉使いに地元感が出ていた。

看護師さんの名前が、私が住んでいる地域に多い名前だったので、聞いてみようかとも思ったが、プライバシー的な質問は控えようと思いやめた。

地元感を感じると親しみがわき、ほっとした気分になれる。

その後、数人の若い看護師がやって来て、からだを清掃しますといって体を拭いてくれた。

床ずれ防止用のクリームも背中に塗ってくれた。

そして陰部洗浄しますと言われ、オムツをはずされた。

「なんだか情けないな」とつぶやいたら、「そうですよね、でも気になさらないで下さい。看護師にお任せ下さい」と言って、手際よく丁寧に洗浄してくれた。

陰部を見られたり触られたりすることは、2回目の生検以降慣れてきて、恥ずかしさは感じなくなってきたが、洗ってもらうことに対しては、申し訳なさを感じる。

看護師さんにとっては、いつもの事をいつも通りに行っているだけなのだろう。

体の清掃をしながら看護師さんが言っていたのだが、
前立腺癌のダビンチ手術に、県外からも患者さんが来るらしい。

後日、調べてみたら、前立腺癌のダビンチ手術の実績は県内トップだった。

看護師にダビンチロボットを見たかったと言ったら、「ああ、奥にあったんですけど見えませんでしたか?」「残念ながら良く見えませんでした」こんな会話をしたが、こんな事を言う患者は少ないだろうと思う。

手術を終えて、手術を受けた感想をまとめると

気付かないうちに麻酔にかかり、気が付いたら手術は終わっていた。

術後の痛みはあるが、我慢できない痛みではない。

入院時の看護師さんの説明で「医術の進歩はすごいんです。安心してください。」と力強く言っていたが、確かにそうだと思う。

病室へ戻るため、病室用のベッドが持ち込まれ、隣に並べられた。

移動できるか心配してたら、看護師が「体を持ち上げます」と言うので、「え、持ち上げる?私を?」と聞くと、

「看護師はすごいんです」と答え

体の下のシーツ状の布を使い、4人がかりで80㎏の私の体をヒョイと持ち上げ、下に薄い板を2枚置いた。

スライドする道具のようだ。

その上へ私の体を置き、横にスライドさせ病室用のベッドへ移動させた。

そしてまた私の体を持ち上げ、スライド板をどけて、病室用ベッドの上に私の体を横たえてくれた。

なるほど、確かにすごいと思った。

そして着ていた手術着からパジャマへ着替えさせてくれた。

病室へ移動

迎えに来てくれた、病室担当の看護師さんが2人でベットを押し、廊下を移動し、エレベータに乗り、また廊下を移動し、病室へ戻った。
少し目が回る。

ICU担当の看護師たちも一緒に病室まで付き添ってくれた。

病室は最初に入った部屋ではなく個室だ。

手術後は、最初は個室へ入ると事前に説明を受けていた。

私物もラックごと移動してきていた。

先生が来て術後の診察を行っていただいた。異常なし。

ICU担当の看護師も担当職場へ戻る。

その際、ベットに寝たままお礼を言い会釈した。

考えて見ると、ICU担当の看護師達とはこの後一生会う機会はないだろう。

彼女たちからすれば日常なのだろうが、一抹の寂しさを感じた。

彼女たちのプロフェッショナル感は半端ないように思える。

これから先は、病室担当の看護師さんのお世話になる。

尿漏れ

パジャマが汚れていた。尿が漏れている。

本来、尿道カテーテルが挿入されているため、尿が漏れることはないはずだが、尿道とカテーテルの隙間から漏れるらしい。

前立腺を取ったため、尿道の周りに前立腺が無い状態になり、尿道とカテーテルとの隙間が大きくなってしまったのかも知れない。

漏れた尿がカテーテルを伝わり、テープ式紙おむつがややゆるかったのか外へ出てしまったようだ。

生検時も尿道カテーテルを挿入していたが、このような漏れはなかった。

大げさに言えば異常事態だ。

漏れがひどい場合は、カテーテルをもう少し太いものと交換する場合もあるようだ。

カテーテルを抜く時も大変だが、麻酔なしで挿入するのはもっと大変な気がするので遠慮した。

看護師さんに紙パンツありますかと聞かれたが、持参した紙おむつはテープ式2つだけで、すでに今2つ目を使っている。

尿漏れパッドなら1袋もってきているが、これは尿道カテーテルを抜いてから使うためのものだ。

しかたないので、尿漏れパッドを陰部にあてて、テープ式紙おむつをきつめにして履くという2重構造にした。

私は、おむつをはくとテンションが下がってしまう。

そんな私の姿を見て、看護師さんが

「同じように尿が漏れてしまう患者さんは、結構いるんですよ」と言ってくれた。

やさしい看護師さんだ。

この時の看護師さんは、手術前の点滴用の針を刺すのに苦労した若い看護師さんだ。

この看護師さんはきっと将来いい看護師になるだろうな、と思った。

頑張れ若い看護師さん。

パジャマも着替えた。

お昼になり、食事を取る。
特にお腹は空いていない。
かなり緩めのお粥だった。
スプーンで食べた。

妻に電話して、諸々説明してオムツとパジャマを持って来てくるよう伝えた。

歩行訓練

午後になり理学療養士がきて、ベッドから起き上がる方法や、立ち上げる時の注意点を教えて頂き、その後、歩行訓練を行った。

手術の翌日だ。

歩行訓練は術後なるべく早く実施したほうが良いらしい。

尿道カテーテルをつけつたままなので、カテーテル台を押しながら、ゆっくり慎重にあるく。

歩けないことはない。ずっとベッドに寝ていたのでややふらつき感がある。

バランスを取ろうとしてお腹に力を入れると少し痛いが問題ない。

無理のない範囲で、毎日行うように言われた。

妻来院

夕方妻がやって来た。
オムツとパジャマを持ってきてくれた。

歩行訓練をしたと言ったら驚いていた。

事前に医師の説明を受けた時に妻も同席していたので、歩行訓練をすることは知っていたはずなのだが、

妻の友人のご主人も前立腺癌の手術をしたらしく、ただ手術は10年以上前の話で、開腹手術だったらしい。

そのため、1週間での退院など無理で、尿漏れどころか、後ろも漏れると聞いていたみたいで
手術後に対する警戒感と覚悟の度合いが私以上に強い。

医師の説明よりも友人からの話を信じているようだ。

今もコロナの影響で、面会時間や人数の制限がされているため、「昨日も今日も暑い」と言って、汚れたパジャマを持って早々に帰って行った。

3日目が終わった

夕食の時間となった。
まだお粥だ。
おいしかった。
食欲も出てきた。

毎日、朝・昼・夕食後に痛みどめを2錠飲む。

飲み忘れ防止のため、記録用紙に記入する。

夕から朝の間が長い。

この間に痛みが出た時は、別の痛み止めを出します、と説明された。

夜中に、お腹の痛みが増してきたため、ナースコールを押し、痛み止めをもらった。

入院日の向かい側の患者さんを思い出した。

一度痛み始めると、痛みが増す一方なので、早めにナースコールをするのが正解だと、肝に銘じた。

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