「ローマの休日」を観た後、Amazonのお勧めで、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」が出てきました。
フェリーニの「道」
「ローマの休日」の翌年1954年の制作で、やはり私が生まれる前の映画です。
主演はジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クイン
監督はフェデリコ・フェリーニ
イタリアの映画です。
あらすじと感想
初めて観たのは学生の頃。
夏の暑さから逃れるために行った映画館でみました。
私はこの映画のラストシーンを見て、とても怖くなったのを覚えています。
小柄で目の大きなジェルソミーナ。
海辺の村で母親と妹たちと一緒に暮らしている。
父親は行方知れず。母親が一人で家族を養っている。
戦後のイタリアも貧しい。
不器用でなにもできないが純真な心を持った娘 ジェルソミーナは、家族のために1万リラで家畜のように売られて行く。
ジェルソミーナはオート三輪の荷室に乗り込み、目に涙をためて、生まれ育った村を、初めて出て行く。
「ローマの休日」でアン王女が宮殿を抜け出すときも、オート三輪の荷室に乗り込んでいた。
その時のアン王女の目は、好奇心に満ちてキラキラしていた。
オート三輪は、新しい物語へと連れ出す乗り物なのかもしれない。
しかし、その後の展開は大きく違う。
ジェルソミーナを買ったザンパノは旅芸人で、鎖を引きちぎるというインチキ臭い芸を披露しながら各地を巡業する。
ジェルソミーナは、助手として不器用ながら彼に仕え、彼の乱暴な態度に傷つきながらも、従順に付き従う。
しかし、いつになってもザンパノは、ジェルソミーナを人としても、女としても扱わない。
旅の途中、陽気で知的な綱渡り芸人イル・マットと出会う。
ジェルソミーナは
「私は何の役にも立たない女よ」
「生きてることが嫌になった」
「私はこの世で何をしたらいいの」 と嘆く。

イル・マットはジェルソミーナに優しく接し、
「どんな物にも存在理由はある」
といって拾い上げた小さな石ころを、ジェルソミーナに渡し、
「この小石も、君も、この世の中で何かの役に立っている」と語りかけます。
ジェルソミーナは
「ザンパノは私がいなければ一人ぼっちになってしまう」
「ザンパノにとって私は必要な人間だ」と小石を見つめ、そこに自分の存在理由を見い出そうとする。
しかしザンパノのジェルソミーナに対する粗野な態度は変わらない。
ある事件をきっかけに、
ジェルソミーナの精神は徐々に崩壊していく・・・・・・・
戦後のイタリア。皆生きることに必死だ。
ザンパノの過去に何があったのかは、わからないが
ザンパノの心の中には、ゴジラがいる。退治できていない。
ラストシーンでザンパノが、夜の砂浜で真っ暗な空を見上げ号泣する。
砂浜にうっぷして嗚咽する。
そして、ニーノロータの「ジェルソミーナのテーマ」が流れ映画は終わる。
◆ ◆ ◆ ◆
最初に、このラストシーンを見た時、これは私の将来の姿なのかもしれないと、訳もなく怖くなった。
ジェルソミーナに限らず、人は皆、自分の存在理由を探し求めているのかもしれない。
人に必要とされる存在理由を求めているのかもしれない。
そしてそれを感じられないと孤独感を感じ、不安になって行くのかもしれない。
恐らくザンパノは、自分の存在理由が小石ほどもないこと、砂粒ほどもないことに気づいたのかもしれない。

今回久しぶりに見て、やはり怖くなった。
今後も夜の砂浜で号泣することにならないように注意して生きようと思った。
何に注意したらよいのかわからないが、とりあえず、妻をもう少し大切にしようかと思う。
『ローマの休日』との対比
『ローマの休日』と『道』続けてみたが、
同じ時代に、同じイタリアを舞台にして制作された映画が、こうも違うかと驚く
『ローマの休日』で感じたキラキラ感は一切ない。
『道』は、白黒映像の暗さに全て支配されている。
戦争に勝った国が作った『ローマの休日』
一方『道』は戦後の貧しさが色濃く残る、負けた国の映画。
その違いが、作品の明るさにも影響しているのかもしれない。
フェデリコ・フェリーニ監督が、この映画を作ったのは34歳の時だ。
ちなみに主演のジュリエッタ・マシーナは、フェリーニの奥さんで、この時33歳の才女だ。
ジェルソミーナの年齢は不詳だが、設定は20才くらいかなと思いながらみていた。
あどけない表情もあれば、大人の表情もでてきて、ジェルソミーナの年齢的な部分にずっと違和感を感じながらみていた。
この年齢差は、ちょっと辛い。
かといって、ジェルソミーナを若いオードリーヘップバーンが演じたらどうだろうか
そして、ザンパノがグレゴリー・ペックだったらどうだろうか。
成り立たない。
まったく違う展開のストーリーになりハッピーエンドになるような気がする。
それはそれで観てみたい。その方が、私し好みの映画になるような気もする。
フェデリコ・フェリーニの世界
フェリーニは、この後も名作といわれる作品を数多く残しているが、
今まで、何となく怖くて見れないでいる。
フェリーニの映画には、心の奥底をえぐり出すような何かがある。
それを直視するのが怖かったのかもしれない。
『ローマの休日』好きには、重苦しい感じがするのだ。
考えてみると、フェリーニが代表作を生み出していた頃より
今の私は、年上になっている。
いってみれば「若造が作った映画」だ。
そう考えると、もう怖がることはないかもしれない。
今なら受け止められるかもしれない。
今だからこそ感じ取れるものがあるかもしれない。
フェデリコ・フェリーニの世界。
少しずつ挑戦してみようか。
関連記事:趣味#1 『ゴジラ-1.0』感想文